父の話
父の日なので、父のハナシを…
実家の横には小さな作業場があって、父が精密機械加工(金属を削ったり穴を開けたりして、ネジや部品を作る)の仕事をしていました。
流行りのモノはあまり買ってもらえなかったけど、知恵の輪とか、コマとか、竹笛とか、「普通は手作りしないよね…」というものを、何でも作ってくれました。
どれもが精巧にできていて、市販品と変わりなく遊ぶことができました。
「こういうのが欲しいんだけど…」と言えば、黙って仕事の合間に作っていて、
数日後には「これでいいか?」と出してくれるし、遊びの途中で「ここをこうしたい」と言えば、解決策を考えてくれました。
私が生まれたときにはもうなかったのですが、母によると、カバのぬいぐるみを作って肘枕にしていたり、セーターを編んだこともあるそうです。
私自身も「なければ作る、あるもので工夫する」というスタンスですが、
それは父から受け継いだものだと思います。
もちろん、父も私も「貧乏だから」が一番の理由ですが(笑)、
「自分の手で創り出すのが楽しい」が根底にあるから、仕事に繋がったのだと
思います。
ワイヤーを切ったり曲げたり…テーブルに並んだ工具たちを見ていると、
「なんだ…父と同じことしてるじゃん!」と笑ってしまいます。
父と違うのは、それで生計は立っていないということ…
私の作品を父が見たら、なんて言うかな~?と考えたりしています。
今年の春で13回忌を迎えましたが、外出自粛だったので、墓参りや法事など
何もしていません。
でも、私が常に思っていること…
先祖供養をしないと罰が当たると言うヒトが多いのですが、形だけの供養をすることより、
「私の中には間違いなく父(先祖)の血が流れている」と日々感じながら暮らしていくことが、もうすでに供養であると思うのです。
私が、自分らしく最高に楽しく、幸せだなぁ~と思いながら人生を過ごしていたら、私に繋がるすべてのご先祖様は、満足してくれるのではないかと思っています。
---
父が亡くなったあとも、たま~に夢(あの世)で会います。
父はもともと寡黙なので、ほとんどしゃべりませんが、
車に乗っていろんな場所をまわり(あの世ツアー??)、
最後は必ず大きな川の前に出て、目が覚めます。
「三途の川」って本当にあるんだな~と思いました(笑)
亡くなって初めて夢に見たとき(四十九日頃でした)、私は川を渡ったのですが、
「お父さんもこっちに来なよ」と言うと、「オレは行げねぇがら、戻る」と言われ、目が覚めました。
ちなみに、父は亡くなる前日も私の家に来てくれました(夢で)。
おかげで、当日は朝から掃除や洗濯をしたり、冷蔵庫の中の食材を片付け(食べ)たり、しばらく家を空けてもいいように準備ができたので、落ち着いてそのときを待つことができました。
そして、夢に見たのと同じ時刻に、本当に連絡が来たのです。
私が父と一緒に過ごしたのは、20年くらい(その後は家を出てしまったので…)。
人生の半分以上、弱った父の姿を見て過ごしたのですが、思い出されるのは、
幼少期に「お父さんは、何でも作れてスゴイな~」と思ったこと。
そのイメージが、今の私の礎になっているのだと思います。
---
とっても余談ですが、昨年の父の日、ウチのクマ(夫)は一人でスーパーへ行き、
「父の日」シールが貼られた、パーティーサイズの寿司を買ってきました。
「安くなってた♪」とウキウキしていたのですが、
父の日に、一人で家族用の寿司を買うオッサン…
きっと、レジの人は哀しい目で見ていただろうな~と思います(笑)
まぁ、私が一緒に行かないのが悪いんですけど…
ヒキコモリなので、一人でも買い出ししてくれるクマに感謝です☆
★作品はコチラで販売しています → Creema Ohana
★現在ご提供中のメニューはコチラです → ☆☆☆
★アクセサリーのオーダー、ホロスコープ鑑定などのお問い合わせは、メールフォームよりお願い致します。 → コチラ
実家の横には小さな作業場があって、父が精密機械加工(金属を削ったり穴を開けたりして、ネジや部品を作る)の仕事をしていました。
流行りのモノはあまり買ってもらえなかったけど、知恵の輪とか、コマとか、竹笛とか、「普通は手作りしないよね…」というものを、何でも作ってくれました。
どれもが精巧にできていて、市販品と変わりなく遊ぶことができました。
「こういうのが欲しいんだけど…」と言えば、黙って仕事の合間に作っていて、
数日後には「これでいいか?」と出してくれるし、遊びの途中で「ここをこうしたい」と言えば、解決策を考えてくれました。
私が生まれたときにはもうなかったのですが、母によると、カバのぬいぐるみを作って肘枕にしていたり、セーターを編んだこともあるそうです。
私自身も「なければ作る、あるもので工夫する」というスタンスですが、
それは父から受け継いだものだと思います。
もちろん、父も私も「貧乏だから」が一番の理由ですが(笑)、
「自分の手で創り出すのが楽しい」が根底にあるから、仕事に繋がったのだと
思います。
ワイヤーを切ったり曲げたり…テーブルに並んだ工具たちを見ていると、
「なんだ…父と同じことしてるじゃん!」と笑ってしまいます。
父と違うのは、それで生計は立っていないということ…

私の作品を父が見たら、なんて言うかな~?と考えたりしています。
今年の春で13回忌を迎えましたが、外出自粛だったので、墓参りや法事など
何もしていません。
でも、私が常に思っていること…
先祖供養をしないと罰が当たると言うヒトが多いのですが、形だけの供養をすることより、
「私の中には間違いなく父(先祖)の血が流れている」と日々感じながら暮らしていくことが、もうすでに供養であると思うのです。
私が、自分らしく最高に楽しく、幸せだなぁ~と思いながら人生を過ごしていたら、私に繋がるすべてのご先祖様は、満足してくれるのではないかと思っています。
---
父が亡くなったあとも、たま~に夢(あの世)で会います。
父はもともと寡黙なので、ほとんどしゃべりませんが、
車に乗っていろんな場所をまわり(あの世ツアー??)、
最後は必ず大きな川の前に出て、目が覚めます。
「三途の川」って本当にあるんだな~と思いました(笑)
亡くなって初めて夢に見たとき(四十九日頃でした)、私は川を渡ったのですが、
「お父さんもこっちに来なよ」と言うと、「オレは行げねぇがら、戻る」と言われ、目が覚めました。
ちなみに、父は亡くなる前日も私の家に来てくれました(夢で)。
おかげで、当日は朝から掃除や洗濯をしたり、冷蔵庫の中の食材を片付け(食べ)たり、しばらく家を空けてもいいように準備ができたので、落ち着いてそのときを待つことができました。
そして、夢に見たのと同じ時刻に、本当に連絡が来たのです。
私が父と一緒に過ごしたのは、20年くらい(その後は家を出てしまったので…)。
人生の半分以上、弱った父の姿を見て過ごしたのですが、思い出されるのは、
幼少期に「お父さんは、何でも作れてスゴイな~」と思ったこと。
そのイメージが、今の私の礎になっているのだと思います。
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とっても余談ですが、昨年の父の日、ウチのクマ(夫)は一人でスーパーへ行き、
「父の日」シールが貼られた、パーティーサイズの寿司を買ってきました。
「安くなってた♪」とウキウキしていたのですが、
父の日に、一人で家族用の寿司を買うオッサン…
きっと、レジの人は哀しい目で見ていただろうな~と思います(笑)
まぁ、私が一緒に行かないのが悪いんですけど…
ヒキコモリなので、一人でも買い出ししてくれるクマに感謝です☆
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★現在ご提供中のメニューはコチラです → ☆☆☆
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